| OB警察官も出動した浅間山荘事件から53年 | - 2025/11/18
- 長野県JR軽井沢駅から約20分、昭和47年2月19日、河合楽器社員保養所「あさま山荘」に連合赤軍武装メンバー5人による立てこもりが始まった。
人実となった 牟田康子さん 当時31歳ご夫婦で保養所の管理人を務めていた。この牟田康子さんが11月13日老人ホームで老衰のため亡くなったと報道された。福岡県出身、(85歳) 5人の犯人に1500人の警察官たち、警視庁はじめ各県警察本部から派遣されていた。テレビでは長時間の実況中継、視聴率がまだ破られていない89.7%だ。 犯人からの銃撃で警察官2名が殉職、民間人1人が亡くなった。 現場を指揮しその後、警察庁長官となった國松孝次氏も狙撃の被害に遇った。重症と報道された。 これら、一連の事件に秋田工業高校陸上競技部OBが命がけの任務に就いていた。 「同僚警察官が狙撃されて、タンカーに乗せられて救急車に向かう姿を今でも忘れることが出来ない」と語る。 当時の警察指揮官のすばらしさについて「狙撃された警察官チームをすべて交代させる方法は、今、冷静に考えると適切だったと思う」「あのまま突撃したチームを継続させると犯人から人実まですべて狙撃していた可能性が高かったと思う」。 浅間山荘事件は海外逃亡している一人を逮捕しない限り終わっていないと語る。
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